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思想家T氏が語る
(結果ではなく、過程を楽しめ)
2006.10.26


(最後の心配)」の続き:

——  いかにも死の苦痛は最後の心配でありますが、人生には、若いうちから心配が多すぎます。学校が卒業できるか。希望の職につけるか。結婚できるか。子宝に恵まれるか。子は立派に育つか。生きている間に孫の顔を見られるか。老後の貯金は足りるか。何もかも、心配なのです。
 しかし、そんなことは心配したって仕方がない。

——  人生ほど大きなテーマでなくたって、そうです。たとえば旅行なら、行く前から天気と忘れ物が心配です。旅行中は、道に迷わないか、予定通りに移動できるか、宿はハズレでないか。怪我をしないか、お金は足りるか。家に帰り着くまで、心配だらけなのです。
 つまり君のような人に、助言できることは、こうだ。ものごと何でも、過程を楽しむことを知りなさい。

 だいたい旅行なんてものは、過程そのものなのである。旅行のゴールは、いつだって自宅なのだ。達成だけに主眼を置いていると、何のための旅行なのか分からない。

 テレビゲームだって、そうだ。クリアすることが目的なのではない。クリアする過程を楽しむためにやるのではないか。

 目標の設定が悪いことなのではない。ただ、結果や達成だけを目的にすると、達成するまでの間はただの忍耐と苦労と心配の日々になってしまう。しかし、結果に至る過程を楽しむものなのだと思えば、見方が変わってくる。

 出世ゲームだってそうだ。その過程を楽しめる人と、忍耐と不安で過ごす人では、大きな差がある。前者なら、達成できなかったとしてもそれなりに意義を見いだせる。後者だと、出世できなかったら自分のサラリーマン人生は何だったのだということになる。

 恋愛を楽しむコツだって同じだ。「ふられたらどうしよう」「結婚に至れなかったらどうしよう」などと心配していれば、恋愛など楽しいどころか不安の塊のようなものになってしまう。結果はどうあれ過程を楽しむものなんだと考えれば、見方も変わってくるのである。

 芸やスポーツで上達する過程、財産を築く過程、作品を作り上げる過程など、そういった最中の充実感は、達成してからでは味わうことのできない貴重な体験なのだ。



背徳の賢者・ルオン さんのコメント:
 我が友人が、最近自転車を始められました。自転車と言ってもMTBで、里山を駆け巡るのだそうだが、目的はダイエットと仰っておられましたが、今現在はその風を切って走ることが非常に楽しいと、そう仰っておられました。
 彼の場合、結果と過程の両方を楽しんでおられる様子、まこと羨ましい限りにございます。

 さて、これに関して申し上げますれば、楽しみ方なんぞ、人それぞれにございます。狂言者Tのような、奈落の底にいらっしゃる方には人生を諭すことなど、到底かなわぬ夢物語にございましょうな。
No.7
そもそも さんのコメント:
No.5は日本語を知らない「エセ思想家」と全く同じ思考法でコメントをしている。No.5が先に説明するべきことは:「結果と過程」の関係を論じるのに、何故「心配」という概念だけを引っ張り出してこなくてはならないのか?ということである。「過程」という概念を「心配」と解釈しなくてはならない理由が、日本語の中に存在していたということを私は知らない・・・。No.4が主張するように、議題を「心配と結果」に変更せよ! No.6
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