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思想家T氏が語る
(死ぬ自由と自殺の自由を守るために)
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2001.5.17
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—— 先生は多くの宗教家と違って、自殺をマイナスに位置づけてはいないそうですね。
わしゃ別に自殺なんてしとうない。
しかし、そう言う問題ではない。人間、生まれてくるときに親を選ぶことができないし、身分や国籍を選ぶこともできない。
要は、それと同じことなのだ。
—— ……と、申されますと?
人間は、生まれるべきかどうかを自分で選択することができないのだ。
生まれるかどうかを選べなければ、生まれてから、死ぬことを選択できないのは余りにも酷じゃあないか!
—— なるほど。でも、自殺することは別に法律で禁じられているわけではないですよね?
確かに自殺の自由は、消極的にだが認められている。
わしが言いたいのは、死ぬ自由つまり自殺をする自由があるのなら、どうして、それを手助けしてもらう自由が認められないのか、ということだ。
安楽死とは、自殺の手助けをしてもらうことだ。
まず、自殺薬や自殺グッズは、これを販売するべきだろう。
そして、安楽死、つまり「自殺手助け屋」といった業態も広く認めるべきだ。これは、殺人でも殺人幇助でも殺人教唆でもない。自殺という当然の権利を保護するためのものだ。
自殺する権利を保護するためには、自殺を禁止しないことでは不十分だ。その手段の提供が大事なことじゃないかね?
—— しかし、安楽死では、本当に本人が死ぬことを望んでいるかどうかの判断が難しいと言われます。
そんなのは、安楽死に反対したい、エセ倫理家の論理だろう。裁判官の立ち会いの元でも、公証人役場で自殺希望遺言を書くでも、裁判所に自殺志願申し立てをするようにするでも、いかようにでもなるじゃないか。そのために応用できる仕組みは、すでにいくらでも、ある。
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