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モノを作ること、労働を配ること、資本主義に思うこと
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ここまでの考え方の問題点
2001.8.8
さて、こうとだけ言っていても、いろいろと問題は残されている。大まかに言っても、次のようなことは問題になる。私が新しいイデオロギーを唱えるつもりならば、こういったことに対する解決策を示す必要がある。
・非労働者層の補助金がP円である場合、P円以上を得たい人が働き、P円で構わない人たちが働かない。全人口の何割が働けばいいか、という割合(労働者層率)は国家が補助金Pの価格をどう決めるかによって間接的に支配できる。しかし、適切な労働人口比率または補助金pを、市場原理によらずどのように算出すればよいのか? これは計画経済の一種ではないのか?
・ある国家が、国民の多くを補助金で食わせるような政策をとった場合、その国のGDPは下がり、国際競争力もなくなると考えられる。
・労働者層と非労働者層の間に流動性が確保されるのか。家庭や家系毎に労働者層と非労働者層の系譜ができてしまい、二者間の利害が対立し、大変なあつれきが生まれるのではないか。
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卍
さんのコメント:
>1
現状を言い換えただけにしか聞こえん理屈だね
No.2
セレフィカ
さんのコメント:
働いてもP円稼げない場合もあるので、労働・非労働に関係なく一律にP円を配分したらよいと思います。
さて、この前提に立った上での提案です。
それは、人々を労働層と非労働層とに分けるのではなく、人生において変化していくモードと捉えてみてはどうでしょうか?
例えば、健康で働く意欲があってお金を稼ぎたいというときは「労働モード」で、健康を崩した場合は「非労働モード」という具合です。また、働く意欲はあるが、P円以上欲しいわけではないという場合もあるでしょう。そういう場合は、「ボランティアモード」です。
つまり、人々を労働層と非労働層というように一律に分けるのではなく、誰でも、労働層であり非労働層でもあるという混在したものとして捉えたらどうかと思うのです。
それで、労働モード←→非労働モード←→ボランティアモードを自由に選択できるのが理想だと思います。
また、モードという捉え方においても、二つのモードの中間を選べるようにすべきでしょう。
例えば、「労働モード」と「非労働モード」を混在させて、一月の前半は働き、後半は休むという具合です。
このような柔軟なシステムを導入することによって、人々が労働から解放されると同時に働く喜びを味わえる社会になると思います。
では、具体的にどうしたらよいかというのがこれからの課題ではありますが・・・。
No.1
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