|
思想家T氏が語る
(子供が居ない夫婦の人権を守るために)
|
2004.6.18
|
—— またしても、児童が殺人事件の被害者となりました。
うむ。
—— 殺された児童の親御さんが気の毒でなりません。
まず第一に、殺された児童が可哀想だ。そして、親御さんも確かに気の毒だ。だが、子供が欲しくてもできない夫婦も居る。
君は、子供が欲しくても出来ない夫婦と、子供が殺された親と、どちらが可哀想と思うかね。
子供が欲しくても出来ない夫婦と、三人の子供のうち一人が殺害された親と、どちらが可哀想と思うかね。
—— 何とも言えません。結果として残った子供の数から言えば、ゼロ人である「子供が欲しくても出来ない夫婦」が一番可哀想なのかもしれません。しかし、子供を殺されるという残忍な目に遭った親と比べることに、果たして意味があるのでしょうか。
別に私だって、「最初から子供が生まれなかった夫婦よりマシではないか」などと言うつもりはない。
しかし忘れてはならないのは、子供が欲しくても出来ない夫婦は、子供を殺害されたのと同じくらいの悲しみや苦しみを抱いて生きているということだ。
—— なるほど。
子供が出来ないというのは、いわば一種の障害だ。これは身体的な障害であり、一種の身体障害者と言ってもよいのだ。だから、それ相応の、デリケートな扱いをされて当然なものである。
例えば、代議士・田中真紀子は、自民党の安倍晋三幹事長を批判して、「晋三は子供が居ない。子なしに何が分かる」ということを言っていた。これは差別発言以外の何ものでもない。「片輪者に何が分かる」と言ってるに等しいのだ。
確かに、子供を育ててこそ、人間一人前なのかもしれない。だが、努力しても子供を授からなかった人もいる。どうしてそれが分からないのか。非常に残酷でデリカシーに欠ける発言と言わざるを得ない。
—— 確かにそうですね。
にも関わらず、現実社会は“子なし”に対して大変厳しい。
例えば、無意味に、赤ん坊を使った偽善的なテレビコマーシャルなどは、そういう人たちにとっては非常に不快な存在であろう。
子供が欲しくても居ない夫婦は、他人の子供を見るだけでも、胸が苦しくなることだって十分あり得る。しかし、普通に暮らしていれば子供を目にするし、子供の自慢話だって耳に入ることになるのだ。
—— しかし、子供が居るのはむしろ当たり前のことで、そのことでいちいち不快な思いをするのは、“子なし”の勝手ではありませんか。
いや、それなら、頭髪の少ない人、いわゆるハゲを考えてみればよい。ハゲの方がまだ保護されている。
いかにも頭髪があるのは当たり前のことである。しかし、常識のある人間なら、ハゲている人の前で、わざわざ「自分は頭髪があって幸せだ」などと言ったりはしない。
それに比べると、“子なし”に対して平気で、「どうして子供作らないの?」「やっぱり子供はかわいいよ」などと言う“子持ち”は実に多い。
—— なるほど。
子供が居るのは、普通のことであり、当たり前のことかもしれない。だが、当たり前のことを当たり前に出来ない人もいるということを、いかなる場合も忘れてはいけない。そして、何もこれは、「子供」に限ったことではない。
「思想家T氏が語る」へ戻る