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No.36 らぬきのうた さんのコメント:
♪ ドレミファソシド ドシソファミレド
  アカサタナハマヤワ リルレロ
No.37 桜みちる さんのコメント:
うちのほうの方言では「食べれる」とか言いますから、それは乱れではなくれっきとした方言で・・・ なんか難しいなぁ^^;
No.38 匿名希望 さんのコメント:
ほぼ筋の通った主張だと思います。
ただ、問題はどんなに「ら」抜きを使う人も、
「信じらんないわ(=しんじられない)」を
「信じれないわ」とは言わないことです。
この点の整合性をつけることが、「ら」抜きの完成度を上げる今後の課題と思われます。
No.39 無宗教家 さんのコメント:
↓「信じらんないわ」ってどこの言葉?
No.40 匿名希望 さんのコメント:
中国地方に住んでいます。方言とTVを通しての標準語を聞いて育ったため、ちょっと自信がないんですが、「信じられない」という意味で「信じられん」「信じれん」という言い方を併用しています。「行けれん(本来の方言は「行かれん」という形だったはず)」「行けん」も併用です。不可能を表す表現で、身体的な能力としての不可能と状況としての不可能表現を方言では言い分けていたからだろうと思いますが、標準語の影響、新方言的な活用が混ざり、20代以下の若者の間では同じ地域に住んでいてもかなり差が出来ていると思います。本来の方言の形と、標準語の違い、新方言とは・・・というところをどなたか整理していただけないでしょうか?
No.41 入るかな さんのコメント:
あらまあ
No.42 うは「 さんのコメント:
な七ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああsっそううですかあ
No.43 ago さんのコメント:
氏ね
No.44 匿名希望 さんのコメント:
荒らしは(・∀・)カエレ!
No.45 ひよこ さんのコメント:
国語レポートで役立ちましたw
ありがとうございます!(ぺこ
No.46 ケンチャン さんのコメント:
国語の宿題の参考になりました。
ありがとうございます。
No.47 匿名希望 さんのコメント:
「歩かれる」「笑われる」「作られる」などは沖縄方言では可能の意味を表します。否定する場合は「る」を「ん」に替えて「歩かれん」「動かれん」などと言います。
No.48 秘密! さんのコメント:
パネルディスカッションの準備にとてもやくだちました!ありがとうございます。
No.49 チョモランマ さんのコメント:
国語の授業での、参考になりました!ありがとうございました!!
No.50 匿名希望 さんのコメント:
でもだからといって誤った日本語を推進するのはどうかと。
No.51 匿名希望 さんのコメント:
つまり間違っていてもその害より利益のほうが多いと。
No.52 言葉遣いは正しく さんのコメント:
しかし間違っていればその利益より害のほうが多いと。
No.53 いくみン♪ さんのコメント:
【食べれる】と【食べられる】。正しい日本語は【食べられる】だとしても、1度で意味の通じる【食べれる】という表現もいいのではないだろうか。しかし、本来の日本語の美しさを失わないためにもら抜きでない、正しい日本語を使えるのも大事だろう。どちらが正しい、当っている、という考え方ではなくどちらも上手く利用できればそれが1番なのではないだろうか。
No.54 こうもり さんのコメント:
過去にとらわれず、正しい日本語の基準自体が時代に応じて変化してもいいのかも。
No.55 かどっこ さんのコメント:
でもやっぱり「ら抜き」は気持ち悪いので、自分では使いません。違和感があってどうしても慣れることが出来ないのです。だからといって、使う人の事を個人的にどうこう思う事はないけど。
音楽界でも美術界でも、天才と呼ばれる人たちは、時代を先取りしたばかりに生前は異端視されたケースが多いと聞きますし、現在では乱れと呼ばれるムーブメントも、先の世では正統の流れとなるのでしょうね。
No.56 nyu さんのコメント:
「られる」が変化して「れる」になったのではなく、
「することができる」が省略されて「れる」に
なったのではないでしょうか。
No.57 国語の教師の知り合い さんのコメント:
No.56どのは「国文法」の復習をして下さい。
<解説>
「れる」「られる」は助動詞で「受身」「可能」「尊敬」「自発」などのいろいろな意味をもつものです。また、修飾対象の動詞の活用形により「れる」「られる」を区別して使うことになっています。
 「れる」:五段・サ変
「られる」:上一段・下一段・カ変
以上が文法的原則ですが、最近では意味がいろいろあるために混同する恐れがあるために「可能」で用いる場合に限定する形で「られる」を使うケースであっても「れる」を用いることで「可能」とそれ以外の意味を区別できるようにしたのが、「ら」抜き言葉の有効な使用例とされているのです。(全面否定も全面肯定もオーバー)
従って「ら」抜き言葉は確かに「可能」の時に用いるのですが、決して「することができる」を略したものではないのです。
No.58 とりあえず さんのコメント:
「ら」抜き言葉ではなく「ar」抜き言葉ですよ。
No.59 匿名希望 さんのコメント:
まあ、言葉は生き物で、時代と共に移り行くものだから。だから古文なんてものを解釈しなくちゃならなくなってるし。正解なんて、無いんじゃないかな。
No.60 文学史 さんのコメント:
「言葉は生き物で、時代と共に移り行く」のは確かだがだからと言って、自分が使う言葉が必ずしも正しいとは限らないという認識も必要である。
時々「古文と現代文のちがい」を引き合いに出して言葉の乱れを正当化するコメントがあるがそれは間違いである。もともと「口語」と「文語」には明確な違いがあったのだが、明治時代の「言文一致運動」により「口語」に近い文学が普及するようになったという歴史があるのだ。
なお、「ら抜き言葉」について使える場合はあくまで条件付である。
1.上一段・下一段・カ変
2.「可能」の意味での「れる」
No.61 匿名希望 さんのコメント:
教養ある外国人ならば「ら」抜き言葉は絶対に喋りません。世界に通じるに日本語を目指す我々は「ら」抜きを容認できません。
No.62 やはり さんのコメント:
コメントを見ると、まだまだ頭がガチガチの教条論が多いですね。
こういう「原理主義者」には、何を言っても通じないようです。
No.63 匿名希望 さんのコメント:
言葉は変化するものだし、ら抜き言葉は意味を正確に伝えることが出来る方法なので個人的に容認できる。もし言葉を教科書のとおり永遠に話せと言うのならば、我々は現代においても江戸時代の言葉で話さなければならないだろう。
No.65 世間 さんのコメント:
言葉の変化の必要性は認めるが、何が何でも変化しなくてはいけないという考えはいただけない。
なお、このトピックにある「ら抜き言葉」は「条件付で使用可能」と考える。
1.上一段・下一段・カ変動詞である。
2.「可能」を意味している(英語の「can」に相当)
No.66 通りすがり さんのコメント:
言葉が多様化している今、何が正しいのか間違っているのかを判別できるようになりたいですね。参考にさせてもらいました。ただ、言葉が変わっていくこと自体は必要に応じて重要だと思いますが、独擅場が独壇場へと間違いから変わった言葉のようにある種開き直りのような変化は受け入れがたいですね。
No.67 うんこ さんのコメント:
うんこうんこ
No.68 さんのコメント:
うんこくいたい
No.70 りるれろ さんのコメント:
シモネタウザイ
No.71 もじ さんのコメント:
悪法も法であるように、文法は文法。
文法的に違えば、文法のテストなら×がつきます。

就職やお見合い、進学時の面接で「ら抜き言葉」を
使ったために聞く人が悪印象を持ち
不本意な結果になったとして、あなたは責任をとれますか?
少なくとも文法通りで×はつきません。

着物の着方、テーブルマナー、どんなことにも個人的に
おかしいな、不自然だなと感じる場合はありますが、
いちいち個々の価値判断を
言い出していたら、きりがありません。

法律や文法は、ともに同じ社会に生きる私たちが共有する
価値の体系です。いい悪いではありません。
決まったことが「正しいこと」なのです。
No.72 匿名希望 さんのコメント:
悪法だから法を変えよう、という動きでは?

我々はテストために言葉を用いるのでなく意思疎通のために用いているのであって、その意思疎通に弊害がある法は、きちんと修正し言葉を進化させるべきだと考えます。

“決まったことが「正しいこと」なのです”として弊害があるままに放置するのは、よりよい日本語を作るという観点からは受け入れることが出来ません。

“本当に弊害があるかどうか”は別の問題で、私はあると考えますが、無いと考える人もいます。議論すべきはこの点であって、“決まったことだから”“今まではこうだった”で議論するのはナンセンスと思います。
No.73 プッ さんのコメント:
No.72のような考えの者がいる限り、世の中は悪くなる一方だ。そもそも自分の考えと違うから「悪法」であるというのがよくない。(本当に変えた方がいいものであれば、既に変わっているものである。例えば「カッコイイ」はかつては若者言葉として敬遠されていたものが正式なものとして認知されたものである)
No.75 りるれろ さんのコメント:
りるれろりるれろり
るれろりるれろりる
れろりるれろりるれ
ろりるれろりるれろ
りるれろりるれろり
るれろりるれろりる
れろりるれろりるれ
ろりるれろりるれろ
No.76 ミスターX さんのコメント:
ミスターX!!!
No.77 匿名希望 さんのコメント:
「このような使い方をして何が悪かろう?」に答えましょうか。

こういったものを中途半端に肯定する事で、
逆に「れ足す」「さ入れ」などといった意味すら成さない変化を
派生的に生んで使用者の混乱を招き、
ひいては子供や外国人に対する日本語教育の難度を
不必要に上げてしまいます。

受身や可能の分化は正当だと説くのであれば、
まずその人間が率先して、
それを適用出来る全ての言葉に当てはめようとするべきでしょう。
あるいは、どの単語を分化させるかを、
明確な基準をもって決定した上で使うべきでしょう。

そうでなくて、今のように一部の単語のみ、
明確な基準もないまま惰性で分化させている人間が、
いくらその有用性を説こうとも、
中途半端に誤用を肯定する言い訳にしかなっていません。

なにせ、本来なら分化させる必要のないものですから。

肯定するのなら、法則化の努力をまずすべき。
でなければ、こんなものはただの文法破壊です。
目先のささやかな利の為に
(私的にはそれすら見受けられませんが)、
大きな弊害をもたらす。
それが現行の「ら抜き言葉」のポジションであり、
決して肯定すべきではないです。
No.78 条件 さんのコメント:
「ら抜き言葉」が使える条件
1.上一段・下一段・カ変のいずれか
2.「可能」を意味する
3.前後関係で「受け身」「尊敬」などと区別できない
No.79 qqq さんのコメント:
てtっっっっっっっっd
No.80 qqq さんのコメント:
てtっっっっっっっっd
No.81 竹上 降 さんのコメント:
言語も意味も不明なヘボコメが目立ち過ぎ!
(No.42・79・80)
No.82 それなら さんのコメント:
国語審議会に訴えたら
No.83 通りすがり さんのコメント:
【免責】というのは卑怯でしょう。
責任を持てないことは公にすべきではありません。
あなたの発言が、他の無知な人々に対する影響が大きいことを知るべきです。
No.84 名無しさん さんのコメント:
レ足すとかサ抜き言葉と違ってラ抜き言葉には必然性がありますものね。
ていうか正しい日本語!正しい日本語!とか叫ぶ人たちは、
例えば平安時代といった大昔からの日本語の変化については文句言わないの?
No.85 まあ さんのコメント:
ら抜き言葉に必然性があるのは、次の場合だけだ。
1.可能を意味している
2.上一段・下一段・カ変
3.前後関係での区別が不可能
No.86 らぬき さんのコメント:
りるれろ