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No.6 宏一郎 さんのコメント:
残念ながら不肖このご高説に是とするわけにはいかぬ。小生歴史好きという一点の弱みはあるにせよ、歴史自体の重要性を否定するわけには行かないと思う。
>しかし、現在では過去の歴史の大部分はわかっており、時折新聞で扱われる発見ネタは、歴史の大勢に全く影響を及ぼさない趣味の領域だ。
これはまったく認識において間違っていると小生は思う。過去の歴史は、近代史においてさえわからないことが多くあるのだ。早い話、最近発見された明治維新志士群像の写真一枚で、あの日本の歴史を決定付けたといわれる薩長同盟の事実が大きく揺らぐようなことが言われている。ことほどさように歴史はわからないことだらけであり、それらに関心を持つ人間は多い。つまりニュースバリューがあるということでもある。未来志向結構であるが、そのためにこそ歴史に多くまなばねばならないと小生は思う。
No.7 東郷隆盛 さんのコメント:
このトピックは西郷どんに対する侮辱でごわす!
No.8 夢水 さんのコメント:
>>このような記事が大きく扱われるのは極めて不愉快だ。

同意!
No.9 社会面の記事をよむ人 さんのコメント:
日経の「社会面」に掲載された「西郷隆盛らしき人物が写っている写真が見つかった」という記事は読んでおりませんが、むしろこの「社会面」の報道を「歴史偏重」との因果律で読取ることのできる氏の史観が一体何に基づくのか興味があります。というのは、氏は自ら:「現在では過去の歴史の大部分は分かっている」と結論づけ、その上で「純粋に過去の歴史として存在する歴史」の所在を設定できる能力をお持ちのようです。これはまさに「神様」のような存在ですね。しかし、この「神様」がお受けになられた「歴史教育」の成績さえよければ、このような因果系列化と問題設定自体がおこなわれなかったのではないか、と「神様」がお受けになられた貧弱な「教育」の「歴史」に心から同情します。
No.10 日本史教授の知り合い さんのコメント:
「過去の歴史の大部分はわかっており〜」
大間違い!現在わかっているのはごく一部の史料からくみ出したごく一部のものに過ぎないのであり、まだまだわからない謎の部分が数多くある。(これは日本だけでなく、世界中に共通すること)
まさか、タイムマシンでその時代のことを見たわけではあるまい。
No.11 そもそも さんのコメント:
  氏は「日本史」と「経済史」を混同(もしかしたら経済史がなんであるかをもわかっていない)しているだけでなく、彼の歴史認識といえば:「明治の日本の歴史にいささかも変わりはないし、それはもうすんでしまったことだ」、といったお粗末さである。
  私は歴史家でも歴史マニアでも歴史ファンでもないが、少なくとも「明治」という時代認識には、司馬史観や進歩主義史観等といった視座が存在し、それによって引き出される日本史解釈も大きく異なってくることぐらいは知っている。
  例えば、この史観の差異から明治期の日清日露両役の解釈を引き出し、日中間に潜みつづける歴史問題を随時政治的に「拡大させる」可能性は孕んでいるのである。過去の事柄を「すんでしまったこと」と判断するのは、社会的事柄に対する問題意識の有無にかかわるカテゴリーであり、歴史家や歴史マニアや歴史ファンの認識に帰属させられることでもない。
  「故意に」批評するが、新たな史的物証が発見された事によって解釈が加えられるという作業の意味から考えれば、その物証出土に対し、氏が短絡的に経済効果や経済的影響が「ない」と理解することも、極めてお粗末ではあるが歴史認識の一つなのである。したがって今回の史的物証が、どのような史観に基づいて「純粋に過去の事実としてのみ存在する歴史」として認識できたのか?その説明責任は、そのような歴史の存在をすでに認めてしまった氏に帰することなのである。
No.12 匿名希望 さんのコメント:
別に歴史だけでなく、政治や経済のニュースも十分多く報道されていると思いますが。
テレビの報道で文科系のものが多く取り上げられるのも、専門家でなくとも分かる内容(大衆受けする内容)であることが多く、話題性があるからでしょう。例えばノーベル賞は文理問わず大きく報道されます。
また、教育の中で歴史の比重が大きい話と、歴史上の大きな発見がニュースで大きく取り上げられた話を並べるのは強引です。
歴史の比重が大きい事に関しては、二つの理由があると思います。一つ目の理由は、歴史が現在の法学や経済学の背景になっており、また、過去の制度の経緯を知っているほうが、深い考察ができること。二つ目の理由は、外交や国政に関わる分野では歴史をそれなりに知っている人が必要とされること(他にも求められる要素はたくさんあると思いますが)。つまり、社会科教育の中で、歴史は他の科目の背景を理解する上で基本となる重要な科目ではないでしょうか。
No.13 そもそも さんのコメント:
  歴史を「過去の歴史」に限定して捉える事について、間違いであるとまではいわないが、歴史は過去のものという命題を疑わない論者全員の脳みそにはやはり限界を感じてしまう。
  そもそも、「現在」において歴史を認識している主体自身の歴史的な被制約性を積極的に加味すれば、認識主体が歴史認識をしている歴史の中の自己を意識する事は可能なのであって、即ち歴史を「現在」の産物として理解することは可能なはずである。
  歴史をそう捉えることで、現在の人の言行全てに歴史性を見出す事が可能なのであって、それを「過去の歴史」に限定して思考を停止させるかどうかは、まあ個人の選択の問題であるが・・。
  
No.14 名無し募集中。。。 さんのコメント:
ιね
No.15 まあ さんのコメント:
どの分野でも「歴史」はつきものだ。
(例:美術史・音楽史・数学史 など)
No.16 さんのコメント:
「過去の歴史の大部分はわかっており〜」
それがそもそもの間違い。特に遠い昔のことはわかっていない方が多い。また、最近においても捻じ曲げて伝わっている場合も少なからずある。
No.17 愚者 さんのコメント:
今我々が生きている時代も歴史の一部である。過去の事実=歴史という固定観念を捨てて視野を広げて考えてみては?